こんにちは、税理士の髙荷です。
さて、日本に古くから存在する「税金(税)」ですが、日本の税制がいつから始まったのかご存知ですか?
国税庁の「税の歴史」によると、日本の税制が生まれたのは「飛鳥時代」となっています。
701年に完成した大宝律令により、租・庸・調(そ・よう・ちょう)という税の仕組みが出来上がったそうです。
【租・庸・調とは】
租・庸・調とは、中国の制度にならってヤマト王権が取り入れた古代の税制です。
- 祖とは
- 祖は、人々に割り当てられた田んぼの収穫高の一定割合を、地方の役所に納めるものです。
- そのため、国家のためではなく「その地方のため」に使われる税でした。
- 庸とは
- 庸は、元々都で労役に就く人々に地方から送る生活費(「仕送り」のようなもの)でした。
- それが、後になって繊維(布)を国に納めるものへと変わりました。
- 調とは
- 調とは、地方から都への貢ぎ物を意味します。
- これは、人々が国(王)に対して負うべき義務とされ、納税者が自ら都へ運ばなければなりませんでした。
- 貢ぎ物の内容としては、絹や麻などの他、各地の特産品が納められていました。
租・庸・調は、大化の改新で作られたとも言われますが、正確には「大化の改新で定められ」て、「大宝律令によって完成した」ものです。
ただ、日本の税制の始まりは、飛鳥時代ではなく、「卑弥呼のいた邪馬台国(弥生時代)」だと言われています。
卑弥呼が支配する邪馬台国の時代には既に税が納められていたとされ、これを日本の税(税制)の始まりとする説が一般的です。
実は、私もこの説を信じていたのですが、ある調べ物をしていて、もうひとつ別の「税の起源」があるらしいということを発見しました。
そこで今回は、「日本の税金の起源はいつか?(誰か?)」について、独自の見解も交えて迫ってみたいと思います。
とは言っても、小難しい歴史の解説ではありませんよ。
「歴史の真実」なんて誰にも分からないのですから、気楽に読んでくださいね♪
尚、日本の「税金の種類」や「税金の時効」について下記の記事で解説していますので、こちらも併せて参考にしてください。
無駄な税金多すぎ!?日本の税金は全部で何種類あるか解説します
税金にも時効はあるの?徴収権の消滅時効と賦課権の除斥期間について
税金の起源と日本の歴史の関係
税金の起源について解説する前に、少し「日本の歴史」の話にお付き合いください。
先ほど述べた「邪馬台国」は、年代で言うと2世紀~3世紀にかけて存在した国であり、「卑弥呼」はその邪馬台国の女王です。
邪馬台国の女王である卑弥呼は、西暦240年~249年の間に亡くなったと言われているのですが、「卑弥呼の死 = 邪馬台国の終わり」ではありません。
卑弥呼の死後も邪馬台国を継承した国家が存続し、遅くとも7世紀ごろまでは続いていたそうです。
ただ、この邪馬台国(の継承国家)と同じ時代に、日本には「ヤマト王権(大和朝廷)」と呼ばれる国が存在していました。
ヤマト王権は、今の奈良県を中心にした近畿地方で栄え、歴史の舞台に登場してくるのは3世紀終わり頃になります。
- 便宜上、邪馬台国は九州に在ったものとしています。
邪馬台国がどこに在ったかは、日本の歴史の大きな謎のひとつです。
有力な説として、「畿内説」と「九州説」があります。
「畿内説」を取るとヤマト王権と場所が被ってしまうので、九州説にしていますよ。
その他にも小さな国(地域)はあったと思いますが、邪馬台国とヤマト王権という2つの大きな国が共存していた時代があったということになります。
日本で初めて税の制度を実施したのは卑弥呼だと言われていますが、実は、前述した「別の税の起源」が、このヤマト王権にあるのです。
ヤマト王権の祖
ヤマト王権の始まりは、3世紀から始まる古墳時代とされています。
当初は、その時代に「王」と呼ばれた各国(各地域)の首長や有力氏族が連合してできた政治組織でした。
後になって、今の奈良盆地を中心とする大和(やまと)地方の国が、周囲の国々を従えたことから「ヤマト王権」と呼ばれるようになります。
そして、ヤマト王権の礎を築いたとされる初代の王が、「崇神天皇(すじんてんのう)」です。
【崇神天皇とは】
崇神天皇は第10代の天皇で、実在すると考えられる最初の天皇として有名です。
古事記によれば、4将軍(※)を各地に派遣し朝廷(天皇の政治機関)の勢力を広げ、天下を平定して民を富み栄えさせたとされています。
実は、初代の神武天皇(じんむてんのう)から第9代の開化天皇(かいかてんのう)までは、実在していたかどうか疑わしいのです。
(※)4将軍とは
下記の四人の皇族に将軍の印綬を与えて四道将軍とし、各地へ派遣しました。
- 大彦命(おおびこのみこと): 北陸道へ派遣
- 武渟川別(たけぬなかわわけ): 東海道へ派遣
- 吉備津彦命(きびつひこのみこと): 山陽道へ派遣
- 丹波道主王命(たんばのみちのうしのみこと): 山陰道へ派遣
もうお分かりかと思いますが、この崇神天皇こそが、卑弥呼とは別に日本で初めて税制を創った人とされているのです。
【日本で初めて税を課したのは誰?】①卑弥呼説
それでは、ここから「卑弥呼」と「崇神天皇」のどちらが日本の税制を創ったのか、具体的に検証していきたいと思います。
尚、邪馬台国の所在地(畿内説・九州説)になぞらえて、「卑弥呼説」・「崇神天皇説」としてお送りします。
まず、卑弥呼説からですが、卑弥呼が日本で初めて税金に相当するものを導入したとする根拠は、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にあります。
【魏志倭人伝とは】
魏志倭人伝とは、中国の歴史書「三国志(※)」の中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称のことを言います。(3世紀の末頃、「陳寿」という人物により記されています)
当時、日本に住んでいた人のことを、中国では「倭人」と呼び、その倭人の習俗や日本の地理などについて書かれたものが魏志倭人伝です。
中国の正史の中で、日本に関するまとまった内容が書かれた初めての書物として有名です。
つまり、「魏志倭人伝」という1冊の本があるのではなく、三国志という本の中の1つのお話が「魏志倭人伝」なのです。
(※)三国志とは
中国の三国時代について書かれた歴史書で、後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの時代を扱う歴史書です。
因みに、マンガや小説などで有名な「三国志」は、「三国志演義」という時代小説を基にしたものであり、「歴史書である三国志」と「物語である三国志演義」は別の書物です。
魏志倭人伝には邪馬台国についての記述もあり、ここに「収租賦」という言葉が書かれています。
これは、中国における租税制度を表す言葉で、当時の日本においても同様の「収租賦」があったことを示しています。
邪馬台国が税の起源だとする場合には、この魏志倭人伝の「収租賦」という言葉が根拠になります。
【魏志倭人伝の原文・和訳(抜粋)】
- 原文
- 収租賦 有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之
- 和訳
- 租賦を収め、邸閣有り。国国は市有りて、有無を交易す。大倭をして之を監せしむ。
- 税を収め、そのための倉庫がある。国々に市があって交易が行われている。役人(監督者)がそれを監督している。
しかし、その内容(税の中身)がどのようなものであったかの記述はありません。
一部では、「邪馬台国の時代には、種もみや絹織物などを貢ぎ物として納めていた」とする解説がありますが、恐らく上記の「倉庫がある」という記述や当時の時代背景を考慮した想像だと思います。
ただ、税の中身はともかく、上記のとおり魏志倭人伝にハッキリと「収租賦」の記述があるため、邪馬台国の時代に税制が存在していたことは間違いないでしょう。
【日本で初めて税を課したのは誰?】②崇神天皇説
続いては、崇神天皇が日本で初めて税を導入したとする説について解説・検証を行います。
崇神天皇が行った税制については、「古事記(こじき)」にその記述があります。
【古事記とは】
古事記は、日本で作られた日本最古の歴史書です。
8世紀初めに太安万侶(おおのやすまろ)が編纂し、元明天皇(第43代天皇)に献上された書物です。
神話の時代から推古天皇(第33代天皇、最初の女帝)の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)が記されています。
また、古事記と並ぶ重要な日本の歴史書として「日本書紀」があります。(古事記と日本書紀を併せて「記紀」と表現します)
記紀は、同じようなものとして扱われがちですが、その性格は、ハッキリと異なっています。
- 古事記は、「天皇(天皇家)の歴史」を記すことを目的に作られた書物です
- 日本書紀は、「国家の公式な歴史」を記すことを目的に作られた書物です。
ただ、どちらも日本の歴史にとって重要な書物であることに変わりはないですよ。
上記のとおり、古事記は歴代の天皇を中心に記した書物ですので、その中の崇神天皇の項に、次のような記述があるのです。
【崇神天皇に関する古事記の記述(抜粋)】
- 原文
- ここに天の下平ぎ、人民富み栄えき。
ここに初めて男の弓端の調(ゆはずのみつぎ)、女の手末の調(たなすえのみつぎ)を貢(たてまつ)らしめたまふ
- ここに天の下平ぎ、人民富み栄えき。
- 訳文
- こうして国の中に平和が甦り、人民は富み栄えた。
ここで初めて、男には弓矢で捕った鳥獣の類を税として、女には手先で作った織物の類を税として、それぞれ徴収することを定めた。
- こうして国の中に平和が甦り、人民は富み栄えた。
実は、私が気になったのは、崇神天皇が税として鳥獣や織物を徴収したことではなく、上記の「黄色のアンダーライン」の部分なのです。
「ここに初めて(ここで初めて)」とありますよね。
この「初めて」の解釈が微妙で、「日本で初めて」なのか?「天皇として初めて」なのか?「ヤマト王権で初めて」なのか?「崇神天皇として初めて」なのか?はっきりとしないのです。
ですから、崇神天皇が初めて税制を行った人であるか否かは、この「初めて」の解釈に掛かっていると考えらえます。
ただ、次の点などを考慮すると、やはり「日本で初めて」という意味になるのではないかと、個人的には思います。
- 第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)から第9代開化天皇までの8人は、古事記・日本書紀において系譜は存在するが、その功績が記されていないこと(そのため、実在が疑われている)
- 「初代の神武天皇 = 崇神天皇」ではないか?という説があること
- 古事記・日本書紀には、邪馬台国及び卑弥呼に関する記述が、全くと言っていいほど無いこと
しかし、このように捉えてしまうと、崇神天皇も初めて税制を導入した人物となり、卑弥呼の解釈と食い違ってしまいます。
卑弥呼と崇神天皇、どちらが初めて税制を導入した人物なのでしょうか?
【日本で初めて税を課したのは誰?】③結論
それでは結論を述べたいと思いますが、その前に、ここまでの解説・検証を振り返ってみます。
【日本で初めて税を課したのは誰?】
- 卑弥呼(邪馬台国)
- 魏志倭人伝による裏付け
- 崇神天皇(ヤマト王権)
- 古事記(及び日本書紀)による裏付け
結局は、どちらを信じるかということになるのですが、ここまで述べた解説の中で「気になる点」がなかったでしょうか?
つい先ほど述べたばかりの、下記の部分です。
ただ、次の点などを考慮すると、やはり「日本で初めて」という意味になるのではないかと、個人的には思います。
- 第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)から第9代開化天皇までの8人は、古事記・日本書紀において系譜は存在するが、その功績が記されていないこと(そのため、実在が疑われている)
- 「初代の神武天皇 = 崇神天皇」ではないか?という説があること
- 古事記・日本書紀には、邪馬台国及び卑弥呼に関する記述が、全くと言っていいほど無いこと
上の解説の青色ラインの部分、気になりませんでしたか?
記紀は、「神話の時代から」の日本の歴史をまとめた書物で、8世紀に作られています。
卑弥呼が支配していた邪馬台国は、3世紀中ごろまで続きます。
一方、崇神天皇とヤマト王権が登場するのは、3世紀後半からです。
年代的に開きはありますが、そう離れた年代でもありませんし、卑弥呼の死後も邪馬台国は存続しています。
しかも、魏志倭人伝という外国の書物にも載っているくらいの、日本を代表する大国です。
それにも拘わらず、記紀には邪馬台国と卑弥呼に関する記述が、全くと言っていいほど載っていません。
確かに、なぜでしょう?
実は、この点についてはハッキリと解っていないのですが、次のような仮説があります。
【記紀に卑弥呼や邪馬台国が載っていない理由】
記紀(特に、古事記)の編者たちにとっては、天皇(天皇家)は、日本で唯一の正当な王朝でなければなりません。
ところが、記紀が編纂されるはるか以前の中国の正史に「倭国(日本)」の「女王」として、邪馬台国と卑弥呼の名が堂々と載っています。
当時、日本にとって中国は憧れの文化大国です。
その中国の歴史書に邪馬台国の存在が書かれているということは、邪馬台国は「世界に認められた日本の正当な王朝」であることを意味します。
- 便宜上、邪馬台国は九州に在ったものとしています。
恐らくこの事実が、記紀の編者たちにとっては、面白くなかったのでしょう。
歴史書というのは、時に、その時代の王朝(王)を正当化するために作られるという側面もあります。
記紀が作られたのはヤマト王権の時代ですから、ヤマト王権と天皇を中心に、正当な日本の国家と代表としての形を整える必要がありました。
ですから、記紀の中には邪馬台国と卑弥呼を登場させるわけにはいかなかったのです。
ただ、魏志倭人伝とのバランスを取るために、ちょこっとだけ登場させているんですけどね。ちょこっとだけ…
このようなことを考慮すると、邪馬台国のことをほぼ100%無視して書かれている記紀の方が、信憑性に欠けるかな、と個人的には思います。
但し、邪馬台国と卑弥呼について書かれていないという部分以外は、信用に足る書物だと思いますので、崇神天皇が税制を導入したという部分も事実だと考えて良いでしょう。
というわけで、私なりの結論は、次のようになります。
【日本で初めて税を課したのは誰?】
日本で初めて税制を導入したのは、卑弥呼(邪馬台国)です。
そして、その税制を租・庸・調に繋がるよう整備したのが、崇神天皇です。
因みに、崇神天皇は、集めた税収によりため池を造るなどの灌漑整備を行ったとも古事記に記してあります。
日本書紀には、戸籍調査の実施や船の造成も行ったとされ、いわゆる公共事業のために税を使っていたそうです。
「税制」とは、税の掛け方や取り方に関する制度のことを言います。
その意味からすると、日本で初めて税制を導入したのは卑弥呼が支配する邪馬台国です。
しかし、「人民のために税を使う」という税本来の政策の基礎を作ったのは、崇神天皇が「初めて」と言えるでしょう。